意味、ゴール、本質について

 意味、ゴール、本質など、抽象性が高い概念であり、本人の哲学や世の中のとらえ方に大きく影響を与えるような話題はしばしば話に上るものの、純粋にどういったものか腹落ちするまで自分の中で問いを立て言語化させようとする機会は中々ないように思う。要は普段何となく雰囲気で使っているだけではないかという事である。

 これは認識や意識領域のベースフォーマットに近い部分であるので、ビリヤードは勿論のこと仕事や人間関係など、人生のあらゆる在り方や幸不幸に関連する重要な問いであることは間違いない。

 まず「意味」とはなにか?それはゴールにつながると思われる行動の先に目的をみいだす行為。そして「本質」は必ずしも意味を持たず、ただ存在するだけ。ただしどちらも世の中で普遍的なものでは一切なく勿論手に取る事はできない(実態を伴わない)。ごく個人的な認識から生じ続ける刹那的な産物であろうこと。

 人は得てして安心をしたいので、本質に意味を見出そうとしたり、万人が肯定するような目に見える正しさを追い求めたりしがちだが、それは自分が掛けている色眼鏡を実態と信じ込むようなものであり、無いものを追い求める何より辛い人生となりがちだ。

 本質に近づく方法として大事なのはそれ自体を意味づけして理解しようとすることではない。そうではなく中心へと向かおうとするその体験、突き詰めようとする行為自体が本質だったという事に気づくことである。

 理解や評価は必要はなく永続的でなくてもいい。あらゆる関係性から切り離されて行為を突き動かす、ただひたすらに形を変えて浮かび続ける何か。それが本質の正体であり、世界の中でこの瞬間のただ一人の自分だけが持つべき哲学だと信じている。

 それらはあらゆる形に変わり浮かび続ける。しかし同時に山のように動かされる事はない。