2014年7月~8月のパフォーマンスについて
これまで記述してきた通り、引き続きフィジカルがすべてに優先するという仮説の元、様々な考察や施行を通して技術向上に努め、さらに今年からは本ブログを使った備忘録的なアウトプットにより知見の積み上げにも挑戦してきたわけだが、小規模なものまで含め直近のトーナメントの優勝率は3割程度まで伸ばせているし、最近の大規模な試合においても最後の方まで残っている状況である。
これまでの自分の競技歴の中で主観的にも客観的にも大きく結果が伸ばせていると断言できるし、少なくとも仮説検証のアプローチとして正しい方向性と再現性をちながら"Right on track"にいると言えそうだ。この方向性を維持しつつ更に技術を磨いていこうと考えている。
試合時のフィジカルのギャップとは
トーナメントに参加し始めて数年、一部のトッププロやワールドクラスプレイヤーを除き、試合での実績含め勝ち筋自体が全くイメージ出来ないという事はある程度なくなってきたように感じる。
しかしながら、いざ試合時の自分の映像を見ると、勝ったとしても普段気をつけている事が全然出来ていなかったりと、頭の中のイメージや練習で出来ていることとの相違や不安定さが目立つのも事実だ。
出来ることが増えたり、結果がついてきたり、体の使い方が多少分かってきた事で理想が更に高くなっている事も否めないものの、もっと満足し更に上を目指すため一度まとめ的に現段階までの気づきを記しておこうと思う。
◼️気づいたところ
- 試合の映像で見たところ使うべき筋肉が全く緩んでいた
- 逆に普段使えている筋肉が全く伸びていなかった
- 最近もフォームのマイナーチェンジを行ったとはいえ、練習時と体のイメージがかけ離れていた
- 直近では、結果途中でフィジカルを崩し、プレイクオリティがさがって敗退してしまった
◼️なぜ緩んでいたのか?
- 緊張しており体まで意識が向けられなかった
- 直前の練習でのフィジカルの意識、チェック不備、準備不足
- 疲れが溜まっており、身体コントロールができていなかった
- 新しい体の使い方のトライが言語化のレベルにとどまっており無意識に定着していなかった
◼️どうすれば良いのか?
- 言語化→定着のサイクルを早くする。動画撮って確認→言語化→チェックしながら練習をもっと繰り返して正のフィードバックを高速化する
- もっと緊張レベルの高い状況を経験する。要はいつもとホルモンバランスが崩れた状況をマネージできていない。よりレベルが高くピリついた状況を経験する事で慣れる
- また副次的に、そういった状況の中で以前はいっぱいいっぱいで見えていなかったものが、今だから見つかるという事もあるかも知れない
- 練習で緊張する。実はこれが1番有効かもしれない。試合は毎日あるわけでなく脳をトレーニングする機会が限られる。そのため練習時に緊張を意図して作り出せたとしたら機会を自ら作り出せるのでは。脳は現実とイメージが区別できない、なんて言説もある
- 練習は試合のように、試合は練習のように、の真髄はこの辺なのかもしれない。一般的にはあたかも試合を緊張しないようにする、と捉えがちだと思うが、全く視点が逆かもしれない。
- 特に試合前はシュートを見る以前に以下のポイントを丁寧にチェックするべきという確信はある
◼️最近特に重要視しているポイントとは
- キューと顔の位置関係
- ビジョンセンターはかなり右目に寄っているため、キューは右耳に近い所まで合わせるくらいでも良い
- キューと上半身の位置関係
- 自分の場合キューと体の距離が遠いと良くない。上半身と頬はキューに押し付けるくらいでよい。右にこじりたがるのであれば最初から右に体をアライメントする。
- どこに押し付けるか。要は軌道を固定するという事なのだが、自分の場合はビションセンターに該当する頬、肩の付け根(ほぼ脇の下あたり)。そうするとグリップが軽くても全然良く、キューの位置も安定する。肘は「結果として」高くなる→肘だけ引き上げるわけではない
- 肩甲骨
- というか菱形筋だが、これは以前から変わらない。しっかり寄せる。寄せないと肘が下がってキューが上抜けしてしまう
- 大胸筋
- 伸ばす。肩甲骨とも勿論関係するが背中は寄せるが胸は開く。猫背は何よりも良くない。広背筋は緩ませる
- 肘の使い方
- インパクトの際、肘は固定や下げて送り出すのではなく、逆に上げる。ゴルフスイングの応用。一つの蝶番のある棒。蝶番を支点にして振り子運動させた時、そのまま揺らすよりも最下点で棒全体を引き上げると揺れる速度が上がる現象。これを応用すると言った具合だ。あとこれをするとでキューの上抜けやフックなど左右のブレが出づらくなる。 キューの運びは前後や横運動ではなく、上下運動だ
- よく見てみるとボーニングも近い動きをする。あの短いフォロースルーで爆発的にパワーがでるのは何も彼の腕が太いからではないのではないか。よくみるとインパクトの瞬間肘をわずかに引き上げる事でキュースピードをだしている。短いフォロースルーの最後にキュー先が少し戻るように見えるのも肘が上がった事でわずがにキューが後ろに戻ろうとするからだ。大井選手もこの作用を使っているように見える。繰り返すがキューの運びは前後や横運動ではなく、上下運動ではないのか
- 最近特にこだわって取り組んでいるが、まだまだ定着していないので練習が一番必要な点でもある
- 重心
- 前。しっかりと遠くに立ち、両足の親指あたりに体重を意識する。前に立ちすぎると重心が後傾したり上半身の伸びがなくなってしまう。
- ショットの瞬間体が前に行きたがるということはそもそも重心が後ろすぎる事への調整作用なので最初から重心を前にする。そうすればそれ以上体が前にいかない。というか行けない
- グリップ
- 小指と薬指側で握り、親指の水かきに押し付ける。さらなる上抜け防止である。
- 目の使い方
- 二重に見えるキューの左側が正しい。右側は左目で見た風景でアライメントを惑わせてしまう(以前の記事の通り)
試合前の練習において、これらのチェックポイントを順を追って丁寧に確認していく作業を行うことで、どのようにパフォーマンスに影響するか検証していきたい。
錯覚のキューと見るべきキュー
構造的に人間には目が二つあるため、焦点を合わせない場合実際は物が二重に見えている。ずっと二重に見えていては不便なため、普段は脳が自動的に右目で見た像か左目で見た像どちらかの像に映像を修正している(片方を消している)が、意識することでどちらも見えるようになる。実は、この脳の「自動修正作用」がビリヤードをする際に悪さをすることが多いのではないかと思う。
キューを見てスタンディングポジションからか前に入り、焦点を先玉や手球に合わせて構えに行く時、特に意識しないといつも通り自然に一つにみえるキューの像に対してシュートラインを合わせに行くだろう。
その際、脳の自動調整によって利き目ではない方の像が競合してしまうため、間違ったアライメントにしてしまうという事象だ。
例えば、自分は右目が利き目であるが、テーブルの全景を見てスタンディングポジションに入るまでは右目の映像でとらえているが、構えに入ってどんどん視野を低くして合わせに行くしていく段階で、左目(非利き目)の視野が邪魔をするため、体のポジションがズレてしまっているという事だ。長年やっていると経験や感覚で合わせて入れる、みたいなことが出来るようになってくるが、それだと緊張する場面で合わせ方がいつもと違ったりと不安定になるし、最終的にどこかで上達やパフォーマンスのアッパーを迎えてしまうだろう。そもそも体の使い方が不自然なのだから。
これをどう修正するか、現段階で自分なりに考えた方法を記しておく。
まず最初に、言うまでもなく効き目を知ることは当然重要だ。
次にそれぞれの目でみた像を個別に認識できるようにする(要は脳の自動修正機能を解除する)。具体的には構えて手球や的球に焦点を合わせてそのまま視点を固定した際に、焦点外である右下と左下両方から焦点に向かって、ぼんやりした2本のキューが伸びていく像が見えるかどうか。
まずここの部分が、すんなり出来る人と中々できない人で個人差でかなり別れる所だと思う。ちなみに自分は最初全くできなかった。普段の目の使い方の癖なのか目の筋肉の柔軟性がないのか、どちらにせよ使い方が上手くないのだろう。
だが解決方法はあるので心配はない(自分はこれで解決した)。まず構えた状態で片方の目を閉じたり開いたりしながら、直接的に片方の像を消してもう片方の像を脳にインプットする。ある程度目をパチパチしたらまた両目を開いた状態にし、像が二つ見えるかチェックする。見えなければまた繰り返す。
その際(知っている人は何を当たり前な事をと思うだろうが)、自分にとっては大きな発見だったのが、両目で見たときに二重に見える像のうち、左の像は右目で見た像、右の像は左目で見た像、と目と像がクロスしていると気づいた事だ。
さらに、試して効果があった方法として、眼帯を使う方法がある。構える前から強制的に片方の視野を遮断してしまうのだ。そのまま構えに入りプレイまですることで、片方ずつの視野でとらえた風景を更に強烈に脳にインプットし、目の働きと意識を取り戻していく方法だ。これを試したところ、より両眼の風景を区別できるようになる速さが上がったと思う。
まとめると、自分の場合は右目利きなので、左側のキューにアライメントを合わせていく事が重要となる。これが右側のキュー(左目の像)であったり、十分に右側のキューに合わせることが出来ていない時、体がズレがちという事が分かった。
構える前の段階からショットの直前までの動作を何回も繰り返して、最後に効き目だけを開けて狙いや風景に違和感がなければ、一応は目の使い方はできている、と考える。
またわかりやすいように利き目が右の自分の場合、
- 左側のキュー=見るべきキュー
- 右側のキュー=錯覚のキュー
と勝手に名づけることにした。
よく言われる正しい目の使い方とは、自分にとって見るべきキューにいかに体のアライメントを合わせるかという一応の自分なりの結論を得た。逆に言うと、恐らく体が動いたりする原因のほとんどは、この視野が合っていない事に起因するのではという仮説もあるので検証していきたい。
あとは目のメンテナンスは重要だ。目の筋肉が凝っているとうまく視野が合わせづらいので、寄り目を維持したり限界まで眼球を右に寄せたり左に寄せたりする運動は必要に思う。
最後に、自分も含め、ほとんどはスタンディングやグリップ、ストローク、肩肘など見える部分飲みに意識が行きがちだと思うが(それも大事だが)、そもそも視野に対するコントロールが重要だ。しかもそれは普段無意識下で処理されているので、仕組みを知り、意識して気をつけることでしか見つけることができないという文字通り盲点となっている。加えて、おそらくだがトッププロといった場合は両目で見たときの風景と、プレイ時に利き目で見た風景とはおそらく寸分の狂いもないのではと想像する。訓練したか先天的かどうかは置いておいて。そうでないとあの精度の説明がつかないように思う。
改めてメタ的に捉えれば、インプットが違えば、体というファンクションも当然間違ったアウトプットをするし、パフォーマンスもずれてしまうのではないかというごく当然の事であった。
ビリヤードが上手くなる、のセンターピンは何なのか
以前にも書いたが、ビリヤードが上達するために究極的には何が実現できればいいのか?果たして「上手くなる」の定義とは何なのか?何がセンターピンなのか?
入れやポジションは重要だろう、知識や勝負の駆け引きといった物も大切かもしれない。センスという言葉も様々なところで聞く話だし、その全部なのかもしれない。だが、要素分解していったときにロジックツリー的な物の一番下にくるのはおそらく、
「目的の位置へ、望むスピードと、望むスピンで手球を移動させる能力」ではないか。
それらの一定以上のアビリティ(能力)とアキュレシー(精度)があるからこそ、入れ、ポジション、知識、メンタルコントロールといったスキルが積み重なるのではないかという考えだ。要は心技体ではなく、体→技→心。体がコントロールできるできるから技術が効率的に身につき、安定した技術が身につくから自己のプレイに自信が持て、出来るようになることが増えて一段上の技術にチャレンジできるようになり、そうするとだんだん上手い人にも勝てるようになり、勝ちの経験が新たな勝ちを呼び、結果として良いメンタルでプレイできるようになるという仮説だ。
極端な仮定だが、環境要因は無視したとして、100%狙った場所に狙ったスピードとスピンで手球を運ぶことが出来たとすれば、ミスは0%となる≒基本的に相手に負けることはない。
では上記に対して、何の「アビリティ」と「アキュレシー」があれば条件を満たせるのか、手球の動きに対して物理的な影響(抵抗や湿度などは無視すると)の大部分を与えるのはキューであり、そのキューをコントロールするためのキューイング、その「アビリティ」と「アキュレシー」が最も重要だ。また、そのために必要なのは体のコントロールであり、これも以前の記事で書いたが体の構成要素は筋肉と骨であるので、それらの普遍的な正しい使い方=キューイングの「アビリティ」と「アキュレシー」に直結するといえる。
自分は偉そうに言えるほど大した実績はないものの、一応長年ビリヤードをやっていると様々なシーンに出会う。大変な熱意をもって練習されている方もよく見るが、一見して体の使い方=キューイングのアビリティとアキュレシーの研究度合いに大きな課題があるにも関わらず、ポジショニングやドリル、高難易度のショットや知識だったり、勝負に関するようなことを教えられたり黙々と独自練習している姿を見かけたりして大変な熱意があるだけに非常にもったいないことだと思う。
またこれは自分に関しての反省もある。当初、感覚と量でやってきて一定のレベルまでは上がったが、自分は卓越した先天的なセンスや他の競技での体の使い方の感覚が全くなかったため、やはり伸び悩みが多かったことは否めないし、最近になって要素分解して体の事を考えたり試行錯誤するプロセスを通し、再度技術レベルを上昇カーブに乗せられたと確実に実感できる。ずいぶん時間を無駄にしたなとは感じるものの、その経験があったから今改めて新しい発見があるし、昔のあれはこういう事だったのか、と点と点が線につながる経験が未だに持てることが純粋に楽しい。
ちなみに、複数のあるプロや上級者とたまたま最近こういったテーマについて話すことがあったが体の使い方に関しては特に考えていないそうである笑。入れて、ここにポジションしたいからそのように頑張って撞く、という事で、ある程度以上の先天的/感覚的なベースがあって、練習でさらに磨きをかけているのである。
逆に言えばそれが彼らを上級者たらしめているのであり、それは優劣ではなく彼らの特性・やり方であり、私も含めた今アベレージプレイヤーが今から彼らに追いつき勝負するために必要な方法論は、自ら紡ぎだしていかなければならない。
別の言い方をすると、彼らの体で何が起きているか、リバースエンジニアリング的にハックし、人間工学的に普遍的でベストパフォーマンスが出せる体の使い方を身に着ける、という考え方だ。
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今回書ききれなかったので今後の検証したいことをメモする。
- キューイングの左右のブレ、上抜けもよろしくなさそう。下はどうか
- 自分の癖はキューの上抜けとフック、なぜ起こるのか、フックの原因は見当がついており修正されてきている。上抜けをどう修正するか
- なぜ上抜けが起こるのか
- ヘッドアップはなぜするのか
- 肘が早く落ちてしまうのはなぜか
- 極端は話、肘を固定してキュー先ををラシャに向けてキューイングするイメージだと上抜けは解消されることが予想されるが、何が起こるのか
- レストは支点、グリップは力点でキュー先は作用点
- 力点であるグリップをフィニッシュで上げる動作が、作用点であるキュー先が下がっていく?
- 重心に近いベクトルラインをキューが通ることで、より手球の重みがキュー先に伝わる感覚(グリップ感)が増すか、最後まで的球を狙えているか
- そもそも、フックもそうだが上抜けやヘッドアップといった現象面へのソリューションは本質的ではない?それが起きるのは体の使い方のバランス悪い不自然さから起こる修正作用である「結果」なので、そこを直そうとしても解決にはならない可能性があるのではないか?
勝敗とはどういったものなのか
我々は「負け」より「勝つ」ことの方が良いであったりとか、そこに対して意味づけや目的の付与といった過剰な解釈、結果に対して執着を持ちやすい。
一般的に勝利という結果に価値があるという事を、我々は疑いようもなく刷り込まれており、良いとか悪いとかの意味づけを、いわば思考停止的に受け入れて過ごしているため、普段それらに対し本質はいったい何なのだろうかという疑問、相対化した考えを持ち得ていない。勝=利。勝つことに利があるという解釈に骨の髄まで囚われてしまっている。
我々をして他者を出し抜き、病的に勝利に駆り立て、格差を生み対立させることでことでメリットを得ている存在があり、それが何なのかは今回のテーマから逸脱するのでので述べないが、その牢獄から自由になるために、まず気付くことが重要である。
では勝ち負けとは何か。「勝ち」とは負けていない状態、「負け」とは勝っていない状況である。今更何をと思うが、これは本質であり世の中の真理に近い。負けが在るためには勝ちが必要であり、逆もまた真、表裏一体である。いわば一枚の紙、コインの裏表であり、表だけが欲しいとか、表の方が価値がある、いや裏だ、などという片方を望む望まないという議論は的外れであり、表を破れば裏も破れるのであり、裏を求めれば表も付いてくるのであり、裏と表両方で完結しているのである。
これはこの世の不変的な法則である。月の満ち欠け、季節、川の流れ、男女、水・氷といった物質の容態、全てにおいて共通している。両方や全ての性質を合わせて全体なのだ。今見えている状態はスナップショットであり大いなる全体の一面に過ぎない。役割の違いであり移り変わるものだ。それに対して我々はたまたま目の前の一部の状態を見てこれは三日月、これは夏と解釈し、こっちが良いあっちが悪いと意味を与えている。
競技も自然の一部であり例外ではない。努力が足りなかったから負けた、改善が勝ちにつながった、相手の技術が高くて負けた等々、ミクロな視点では確かにそう見えるかもしれないが、本来そういった因果関係は幻想である。ただその時たまたま片方の体験、状況が目の前にあり、勝ち負け、良い悪い、自ら感情や解釈を載せてそれらしく理解した気になっているに過ぎない。勝ち負けに関しては常日頃から自己肯定感や評価、直接的な経済的メリットに結びつけるよう常に暗示に囚われているため、より認知が歪みやすい。
それに対して我々の中で何が起こっているのか。本来、目の前の状況は外で起こっているのではなく、我々の内面が風景を作り出して見せている。形而下の意識が片方に執着し求めることは極めて不自然な状態であり、我々の無意識だったり形而上の法則がバランスをとり己に気づきを与えるため、求めていない方の現実が目の前に作り出される。正確には作りだされる、ではなく自ら状況を作り出している。
片方の結果に執拗にこだわったり、逆に見たくないからと避ければ避けるほど、望んでいない結果が展開される理由がここにある。
では勝ちでも負けでもない、本質とは何か?
それは内発的動機に基づいた経験をする事である。ただワクワクするからやる、やりたくてしょうがないからやる。それだけでよいのであり、それだけで十全なのである。結果など入り込む余地はないし、ましてや意味、解釈や価値判断など全く必要がない。
一部の例外はあるかもしれないが、本来我々はそういう気持ちで競技を始めたはずだ。面白そうだからやってみよう、なんか憧れるからやってみたい、すこしだけ興味があるから触れてみたい、どんな小さくても一番最初に内発的動機があったはずだ。
それがいつしかどうだ。上手くならないと意味がない、評価されないと自分の価値が下がる、勝たなければいけない、負けてはだめだ、もっともっと、もっと訓練をして出し抜き、成長、発展、勝利、優勝・・・何かに駆り立てられるように全力で本質から遠ざかっている。その苦行の先になりたい姿はなく、幸福もない。スキル、技術、経験値、金銭、他者評価など、すぐ手段や出来ない理由を作り出して自己否定するのは、非常に悪い癖だ。特に日本はこの傾向が強く不幸が蔓延しているように感じる。
そこで起こっていることの本質は、謙虚さや美徳でも何でもない、質の悪いエゴだ。心から幸福を感じられない空虚さ、寂しさ、悲しさ、不安、そういった物を直視したくない、逃げたい。気持ちの良い事、自分にとっていい事だけ起こってほしいという間違った考えがあるから、気に食わない相手や起きてほしくない出来事を自ら起こすのだ。考えてみれば至極滑稽な事だ。空に向かって唾を吐きかけては顔が濡れると空に文句を繰り返す行為。自分自身に延々と怨嗟を繰り返す行為と全く同様だ。
本来自分の感情にいい悪いはなく、仮に今嫌に感じることがあったとしてもそれは自分自身に対するメッセージなのだ。どんなメッセージか。いいところだけ欲しがっていたり逆に外(のように見える)の悪い事や勝ち負けにばかり目をむきすぎですよ、もっと自分の悲しみや喜び、本来の自分の感情に正直に耳を傾けてくださいよというメッセージだ。
自分を十全に取り戻す、感じる、今できる唯一の事はおそらく、心の底から望む自らの在り方を、今ここで自分で決めるという事だろう。自分だけの王国なのだから在り方は何でもよい。世界の舞台の表彰台に立っている自分。しかもこれまでの苦行の結果ではなく、子供だったあの頃の様な好奇心とワクワクが解放されて勝手に手に入っている。毎日競技をするのが楽しくてしょうがなく、一日が感謝で終わる日々。そしてどんな一時的な結果であっても、頑張ったね、うれしいね、悔しかったね。また明日も頑張ろうねと自分の感情に寄り添える自分。
実は、前述した望んでいない結果をもたらしている無意識は、ずっと気持ちを無視され続けてきた幼い自分の姿なのかもしれない。成長しさえすれば、評価されさえすれば、勝ちさえすれば、報われる。本心は泣きたいくらい辛くても、そんな感情を弱いと切り捨てて蓋をし耳を貸さずに来た自分。あの頃の自分を暗い部屋の隅に何十年も置いてきぼりにして、ついに本当の気持ちさえ分からなくなり、不安をかき消す様に一心不乱に己を駆り立てきた自分。そんな気持ちに気付いてほしい一心で望まない風景を作り出してきたのかもしれない。
自分の素直な声に耳を傾ける在り方を選び、やっと気づいてくれたんだね、とあの頃の自分と邂逅した瞬間から、全てが雪崩のように手に入るだろう。
ブレイクスルーとは何なのか
ブレイクスルーには何が必要なのか。技術、意識、メンタル、技術、ゴール、KPI、等々、ブレイクスルーそのものを要素分解しようとすることに意識が向きがちだ。
どれも成分としては間違ってはいないだろうし、シチュエーションによっては正しいだろう。が、本質的性質として何かが存在するためには外部要因や対立概念が必要である。ブレイクスルーに対する、光には闇、自己には他者というような対立概念は何だろうか。それは壁である。壁があるからブレイクスルーが存在できるのであり、逆に言えば壁がないブレイクスルーは存在しない。自分にとってその視点は新しいものであった。なにかを克服したり目指したいのであれば、対象それ自身だけではなく構造をとらえる必要がある。
可能性が広がる理由は星の数あるが、無くなってしまう理由はただ一つ、自分が諦めて終わらせる現実を確定させた時だけである。逆に言えば確定しない限り無限の可能性はすでに存在し続けるのであり、観測者問題的な本質と軌を一にする。そこに定量的な成績や金銭、技術、感情、ましてや他者評価などが介在する余地は全くなく、0.001%であっても動き続ける限り可能性は0にはならない。
0になるとしたらそれは自ら辞めた時だけなのだから、結論、壁の構造を脱する唯一の方法は今ここでコントロールできる範囲をアクションし続けるしかなく、目の前のこのアクションがそのままあらゆる可能性に向けてつながっているのではないか。
圧倒的な実力を手に入れるにはどうすればいいのか
圧倒的な強さに対して何が足りないのか?テクニック、フィジカル、メンタル、経験、何が今の自分にとって必要なのか?結局目と体のフィジカルの割合が大きいのではと仮説を立てて取り組んでいるものの、突き抜けたプレイヤーになるための何か、そこへの道筋はまだ何も見えていないし実感もない。明らかに段違いに勝てるようにはなってきているし、その理由としてフィジカルや技術の向上、経験も何もかもベースアップはしていると思う。結果や記録も出ているがビックトーナメントでは結果が出ていないし、しかるにワールドクラスなど夢のまた夢の状態である。
絶対的に必要な何かが足りていない感覚に常にさいなまれている。渇望感、不満足感、未達成感など。ブレイクスルーがあるのかないのか。この先に果たして圧倒的な強さであったり勝利の道が開けるのだろうか。全く未知であり答えはまだない。