構造に関するメモ

  • 人は言語とその関係性である構造でしか世界を理解できない
  • 意味づけして理解したと信じているものの本来は幻想
  • 構造は入れ子になっている
  • 例えばビジネスでは、俯瞰して抽象化するには2段階以上、構造のレイヤー上げないといけない。最低2段階上の構造まで理解することが大変重要
  • 平社員であれば部長などの上級管理職、部長であれば社長
  • 人間の一般的な認識論の話なので、競技に関しても応用できるのでは
  • 初心者、アマ、トップアマ、プロ、トッププロ
  • 初心者であれば、トップアマチュアの、アマであればプロの構造、視座の理解

突き抜けた存在となるには何が必要なのか

 物理空間や意味空間のみに囚われていては覚束ない。まず根幹のマインドと、それがある前提での習慣や行動である。

 常識を疑い、逆張りし、最後に具体的に行動する。まず疑い逆張りする必要があるがそのためにはマインドの力が必要だ。要はコンフォートゾーンの外に喜んで出るというマインドだ。

 大体はその様なマインドを持つ事なく、具体行動のみに意味を見出しとらわれる。順番が逆であるし、一番大切で痛みを伴うステップを飛ばしているのと、要は体よく楽をしたいだけではないか。

 ⚪︎⚪︎をすれば上手くいく、このレベルでやる必要があるのは⚪︎⚪︎だ、⚪︎⚪︎時間練習、週⚪︎回練習必要etc. それでは90%のその他大勢のアベレージプレイヤーと結局何も変わらない。そんな他者の意見や見解に囚われてはいけない。それは彼らの言葉であり私のものではないのだから。

 そうではなく、まずは他者から押し付けられた常識を疑い、自分だけは上手くいくと独自の道へ正しく逆張りし続ける為の自分だけのマインドとストーリーである。それらは逆張りであるが故に大体は間違いではある。たが一方、他者の常識の中にはそもそも万に一つの正解はないのだから。そこまでのマインドのベースがそろってから初めて具体的な行動が必要となってくる。

 違和感を臨場感たっぷりに感じれるようなステージへプロアクティブに進み、自分だけの習慣行動を貫き通すことが重要だ。間違っても間違ってもそれでも張り続けるマインド。そこから生じるとんでもない違和感、それこそがその他大勢を尻目にスッーっと登っていくためのエレベーターとなるだろう。

 1%の側に行くためのルールは常識とは全く異なるものではないだろうか?この場合は99%の意見にはほとんど意味がない。自分を信じれるのは自分だけ。誰も通らない道の先にしか非凡な達成はないのだから。

ゴールとはどの様なものでどう設定すべきなのか

 ある話によれば、コンフォートゾーンに対しゴールはその外に設定されなければならないと言う。そして今認知可能でイメージできる領域の延長はゴールではなくて目標だという。どう言うことか。

 「目標」を例えるなら、センターショット⚪︎球連続で入れたい、⚪︎⚪︎のドリルを成功させたい、誰々さんに勝ちたい、⚪︎⚪︎の公式戦で優勝したい、と言った所だろうか。たとえ今は無理でも頑張りや練習や工夫(コンフォートゾーン)の先に到達できそうなイメージが持てる領域だ。

 では「ゴール」はどうか。今自分が見えている世界から逸脱し過ぎてどうすればいいか一見イメージが湧かない様なものといことだが、自分のビリヤードで言うと何だろうか。

 競技レベルやスタンス、視座にもよるだろうが、あくまで競技者としての自分の場合、思いつくままに上げていくとUSオープン優勝、Matchroomグローバルランキング1位、世界タイトル連取、グランプリ年間全試合勝利、Hall of Fame入りなどだろうか。

 ちょっと自分でも何を言っているのか分からないし、そうなる為の道筋や何をどうすればいいか検討もつかないし、仮に人に話したらネタになるならまだマシで、⚪︎⚪︎扱いされた挙句ほんのり距離を取られてしまう様な内容だ。自分で言っておいて恥ずかしくなるくらい圧倒的に違和感しかない。

 ただサイコロジカル的に、この圧倒的な違和感を感じるような「ゴール」が適切だと言うのだから驚きだ。そして俄には信じがたいが、この強烈な違和感をセトルしようとする無意識の働きによって、エレベーターに乗る様にスーッと風景が変わっていくのだと言う。スピリチュアルなどではなく。

 意識・認知領域では絶対に到達できない、無意識の力を使わないととても到達できるとは思えない領域にゴールはあるべきであり、KPIや計画、目標等、一見ロジカルなものはゴールではなくプロセス目標だという。なるほど、エントロピーが高い状態が良いと言う話だ。

 確かに心当たりと言えば卑近な例であるが、トーナメントプレイヤーになった直後は確かに途方に暮れていたし、ビジネスの観点で振り返れば、達成してきた様々なマイルストーン、その結果として社会的な役割やそれによって期待されるアウトカム等々、あの日あの時の自分にとって今の状況は非連続的であったと言えるかもしれない。

 もちろん当時はゴールや無意識云々など考えてもおらず、ただがむしゃらにと言った状況だったが、今回いわば未来から今に時間を流すスキームの仮説ができたことで、球も勿論、メタ的な人生全体の捉え方のアップデートができそうだ。

練習とはどうあるべきなのか

 バラ球は良くないとか、ドリルが良い悪いとか、初心者はセンターショットが云々、特定の練習方法の意味のあるなしなど、よく聞くものも含め様々な意見がある。

 自分としてはそこはあまり重要ではなく、合目的かどうか、が一番重要なのではと考える。

 一見意味がありそうなドリルだろうが、適当そうに見えるバラ球だろうが、ゴールに対してベクトルが合っていると自ら意味付けしていればそれで完結しているのであって、重要なのはコンフォートゾーンの外にゴールが明確にある事、そして今やっている練習がそこに向けて正しいベクトルを向いているか(正しく違和感を感じられているか)、それらが個人の体験として臨場感を持てているか、だ。

 極端な話をすれば、キューを握らないことさえもベクトルが合っていれば練習として成立するのである。

 意味がありそうに見える難易度の高い練習をしかめ面でこなしても、合目的かつ違和感を感じながらやらなければなければ全く時間の無駄だ。

 ただし、ベクトルの向きは良かったとして長さはどうなのか、これは常に気をつけないといけない。

自らへの他者の声と、自らが他者に関して話題をすることについて

 こうしようと決めたとか、敢えてそうしているとか、また信条やなどではなく、そもそものスタンスとして一切の他者の声は耳に入っていない。

 これは称賛もディスリ的な何か(そもそも耳に入っていないので非難を感じたことはないし、幸運に周りの人に恵まれているので、あくまで例えとして)両方だ。

 ではなぜ耳に入っていないのか?多分コントローラブルな点にのみ意識が向くように相当な癖がついているのだと思う。育った環境かもしれないし、ビジネス上後天的にそういった性質がついたのかは定かではないが、この性質は自分としてのビリヤードに対すする接し方、上達や試合といった競争に対して重きを苦という点に少なからず役立っていると思う。

 他人の反応や存在、周りの環境や最終的な未来の結果、また過去は全てアンコントローラブルな領域に属する。コントローラブルなのは唯一、今この瞬間の自分の意識と身体感覚だけだ。しかも脳の構造としてそこでさえも相当情報量にリミッターがかかって一部しか知覚できないようになっている。

 コントロールできない領域にあれこれ意識を向けるほど、人間の脳のCPUは余裕がないのである。そもそもカットするのが良策である。

次に他者の話。これはやめた方が良い。現実は自分が意識したように構築される。ネガティブに見ればネガティブな世界が現れ逆もまたしかり。球が上手くなろうが人間価値的には何も関係がない。他者をディスるなどは天につばを吐く行為であり論外だ。

 自分の今この瞬間のパフォーマンスにだけ気を向けていればよい。挑戦者はたとえ失敗に終わっても称賛されるべきでそれは他社ではな自分が行うべきなのだ。あくまで自分個人のスタンスであるが。

ブリッジハンドの位置についての実験結果と考察

 以前書いた以下の記事で実際にプレイにて検証を行った。

anonymouscuesportsplayer.hatenablog.com

 

 結論、効果はかなりあったといえる。

 まず定量的なパフォーマンスであるが、小規模な試合ではあるものの、出場2試合で2連勝であった。そのうち1試合に関しては、全4試合(必要勝利ラック数は計20)のうち失ラック数3、うち2試合はストレートというものであった。ショット成功率は正確に計測していないものの、恐らく0.95程度はいっていたと思う。ここがまず大事な点だと思っていて、競技での結果を求める以上、いくら視覚的に見た目が真っすぐに見える/打球感が良い等、定性的に良かったとしても、結果がついてこなければ意味がない。

 次に定性面。

 身体感覚でいうと、目のインプットに対してフィジカルが一致している感覚(セトル感、信頼感)を実感できたプレイの割合が殆どであったし、副次的な効果として負担の少ない目と脳(目は脳の器官の一部)の使い方ができたことで最後まで疲れを全く感じることがなかった。

 また、乳酸の蓄積といった筋肉面の疲労感であるが、これもインプットとアウトプット間の処理がシンプルになったせいかプレイのスピードも自然と上がっており、ほとんど疲れることがなかった(元々プレイは早い方だが前述の試合では1試合20~30分程度アガり)。

つぎに視覚的にみてフォーム上真っすぐ出ていたのかという点これも大事だ。結果が出てもたまたまかもしれないし、感覚上しっくり来ても実際は違っているという事も多い。しかしながらこちらに関しても動画を確認してみると十分に改善が認められたといえる。

 改めて変更点は、先日の記載をなぞる形になるものの、自分は右手利き/強めの右目利き、であるのでブリッジハンドの位置をより右に調整した。

 もっと正確に言うと、以下は常に一直線上になければいけないが、ブリッジハンドのアライメントが左にずれていた結果まっすぐ振れないのでは、という仮説に基づきやや右側に置くことを意識したという点である。

手球の目標点、効き目の方で見ている手球(自分は右目利きなので2重に見えている手球のうち左側の手球)、ブリッジハンド、ビジョンセンター(右目黒目の内側直下)、グリップ

筋肉の緊張と緩和について

 収縮させる筋肉とそうでない筋肉をしっかり区別しなければならないと思う。

 菱形筋は収縮される必要があるのでは、という事は前に書いた。逆にその周辺の筋肉群は弛緩させることでバランスを取らなければならない。例えば菱形筋の場合、棘上筋、棘下筋、小円筋、大円筋、広背筋といったすぐ周りの筋肉は緩めないとただの力みにつながってしまい、肩甲骨支点からの力の作用が伝わりづらいのではないか。