ゴールとはどの様なものでどう設定すべきなのか

 ある話によれば、コンフォートゾーンに対しゴールはその外に設定されなければならないと言う。そして今認知可能でイメージできる領域の延長はゴールではなくて目標だという。どう言うことか。

 「目標」を例えるなら、センターショット⚪︎球連続で入れたい、⚪︎⚪︎のドリルを成功させたい、誰々さんに勝ちたい、⚪︎⚪︎の公式戦で優勝したい、と言った所だろうか。たとえ今は無理でも頑張りや練習や工夫(コンフォートゾーン)の先に到達できそうなイメージが持てる領域だ。

 では「ゴール」はどうか。今自分が見えている世界から逸脱し過ぎてどうすればいいか一見イメージが湧かない様なものといことだが、自分のビリヤードで言うと何だろうか。

 競技レベルやスタンス、視座にもよるだろうが、あくまで競技者としての自分の場合、思いつくままに上げていくとUSオープン優勝、Matchroomグローバルランキング1位、世界タイトル連取、グランプリ年間全試合勝利、Hall of Fame入りなどだろうか。

 ちょっと自分でも何を言っているのか分からないし、そうなる為の道筋や何をどうすればいいか検討もつかないし、仮に人に話したらネタになるならまだマシで、⚪︎⚪︎扱いされた挙句ほんのり距離を取られてしまう様な内容だ。自分で言っておいて恥ずかしくなるくらい圧倒的に違和感しかない。

 ただサイコロジカル的に、この圧倒的な違和感を感じるような「ゴール」が適切だと言うのだから驚きだ。そして俄には信じがたいが、この強烈な違和感をセトルしようとする無意識の働きによって、エレベーターに乗る様にスーッと風景が変わっていくのだと言う。スピリチュアルなどではなく。

 意識・認知領域では絶対に到達できない、無意識の力を使わないととても到達できるとは思えない領域にゴールはあるべきであり、KPIや計画、目標等、一見ロジカルなものはゴールではなくプロセス目標だという。なるほど、エントロピーが高い状態が良いと言う話だ。

 確かに心当たりと言えば卑近な例であるが、トーナメントプレイヤーになった直後は確かに途方に暮れていたし、ビジネスの観点で振り返れば、達成してきた様々なマイルストーン、その結果として社会的な役割やそれによって期待されるアウトカム等々、あの日あの時の自分にとって今の状況は非連続的であったと言えるかもしれない。

 もちろん当時はゴールや無意識云々など考えてもおらず、ただがむしゃらにと言った状況だったが、今回いわば未来から今に時間を流すスキームの仮説ができたことで、球も勿論、メタ的な人生全体の捉え方のアップデートができそうだ。