自らへの他者の声と、自らが他者に関して話題をすることについて

 こうしようと決めたとか、敢えてそうしているとか、また信条やなどではなく、そもそものスタンスとして一切の他者の声は耳に入っていない。

 これは称賛もディスリ的な何か(そもそも耳に入っていないので非難を感じたことはないし、幸運に周りの人に恵まれているので、あくまで例えとして)両方だ。

 ではなぜ耳に入っていないのか?多分コントローラブルな点にのみ意識が向くように相当な癖がついているのだと思う。育った環境かもしれないし、ビジネス上後天的にそういった性質がついたのかは定かではないが、この性質は自分としてのビリヤードに対すする接し方、上達や試合といった競争に対して重きを苦という点に少なからず役立っていると思う。

 他人の反応や存在、周りの環境や最終的な未来の結果、また過去は全てアンコントローラブルな領域に属する。コントローラブルなのは唯一、今この瞬間の自分の意識と身体感覚だけだ。しかも脳の構造としてそこでさえも相当情報量にリミッターがかかって一部しか知覚できないようになっている。

 コントロールできない領域にあれこれ意識を向けるほど、人間の脳のCPUは余裕がないのである。そもそもカットするのが良策である。

次に他者の話。これはやめた方が良い。現実は自分が意識したように構築される。ネガティブに見ればネガティブな世界が現れ逆もまたしかり。球が上手くなろうが人間価値的には何も関係がない。他者をディスるなどは天につばを吐く行為であり論外だ。

 自分の今この瞬間のパフォーマンスにだけ気を向けていればよい。挑戦者はたとえ失敗に終わっても称賛されるべきでそれは他社ではな自分が行うべきなのだ。あくまで自分個人のスタンスであるが。